「ア ラ シ」 奥地に生きた犬と人間の物語  今野 保著  中公文庫

大正時代、北海道の奥地で幼児から青年期にかけて犬と共に暮らした波乱に満ちた物語である。

物語に登場する犬は、クロ(アイヌの飼う猟犬の子)、アラシ(吹雪の夜、山犬が置いていった子犬)、タキ(流木に乗って滝つぼで助けられた山犬の子)、ノンコ(秋田犬と土佐犬の混血)。どれも大型犬の牡。北海道の原野で小型犬は現実的ではないし、愛玩犬では物語になりにくいだろう。
著者が幼かったときに身近にいた犬がクロ。何かあったときに幼い著者が叫ぶのが「クロ!」。
普通は「お母さん!」だろう。幼いながら遊び相手というだけでなく、自分のよき理解者であり、保護者でもあることを強く意識していたのだ。

幼かった著者が川に流されたとき、兄弟も身近にいたけれど、真っ先に駆けつけて助けたのはクロ。犬の知能は5歳の人間くらいと、何かで読んだことがあるが、この本を読むと、どの犬もそんなものではない、と思わせる。危機を認識して直ぐに行動に移す能力は人間以上ではないだろうか。

私は、正直いって犬は苦手である。子供のときから犬が身近にいたときがなかったから、仲良くしたくても体がそう反応してくれない。仕方がないから、書物を通して犬と交流したつもりでいる。犬の話は楽しい。この著者の犬物語は、いままでに読んだ犬の話と大きく異なり、実に力強く、人との交流も深い精神的交流が描かれて味わい深い。この本を読むのは二度目だけれど、一日で読んでしまった。それだけ話に強く引き込まれてしまうのだ。気がついたら寝る時間をとうに過ぎていても、もうすこし、最後まで、と止められなくなってしまう。

書名になったアラシは、吹雪の夜、山犬家族が著者の家の前に置いていった子犬ではないかと父親は推理する。生後50日くらいで乳離れし、何でも食べられるようになった子犬を人に預けていったのだろうか。それまで鶏小屋を荒らしに何度もきていたが、必ずしも豊富な食料は得られてはいない。人に預けてみようか、と親山犬は思ったとしても不思議ではない。それからしばらく姿を見せなかった山犬が再び現れるようになったとき、アラシは十分にたくましくなっていた。そして、家を空けるようになり、山犬のボスになった。
著者が小学低学年のとき吹雪の通学路で一人難渋していた。そのときの悲痛な叫びを聞いたであろうアラシは、幼かった著者のもとに駆けつけてくる。群れの山犬が見ている中、幼い人間の子供のために我が家に向かって雪道をつけ、著者を励まし、涙を舐める。

ほかにも二冊、中公文庫から出ている。どれも、一昔前の北海道の自然と生活を語って右に出るものはない。