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水力発電所や用水を訪ねることが多くなりました。いろいろな理由がありますが、用水は古い時代に困難を克服して造ったものもあります。人が生きるために大きな仕事をすれば、そこには、それなりに物語があるはずです。それは現代までにどういう経緯をたどったのか、つまびらかであってもなくてもかまわないのです。それを想像するすることが楽しいことなのです。

間歩用水は上野の国の北半分を真田家が治めていた時代に作られた用水です。おそらく当時から生活用水としての利用が主であったのではないかと思います。いまでも市街地の半分くらいを潤しているのではないでしょうか。ただし、どれくらいの世帯が雨水の排水先という以外に利用しているかといったらそれはわかりません。

黄色の線が間歩用水と、私の歩いた流路です。①が現在の取水地点です。
高山村からくる名久田川と赤坂川との合流点から名久田川の600m位上流です。

取水点に降りるのは的場橋のたもとです。いま芙蓉がきれいに咲いています。

橋の脇に鉄ハシゴがありました。これを降りるとすぐ川端です。

用水の脇の30cmくらいの幅のコンクリの上を50mくらい行くと取水口です。
大きな石で流路を分けた簡単な取水口です。
行く方は足を滑らせて落ちないようにしてください。
水圧がありますから危険です。
②の地点は赤坂川合流点付近です。
郵便局のすぐ南に水車小屋があります。
赤坂川を用水は水路橋で渡ります。

③の地点は広い水田になっています。農地改良して整然とした水田です。その北の端を用水が通ります。
道路わきに道祖神がありました。
④は左側が中学校の跡地で道祖神と道しるべがあります。
→赤坂ヲ経テ新治村。←中之條 とあります。
④と⑤の間、コンビ二のところで国道を渡り、左の細道に入ると水路が地表に出ます。
用水は地図の等高線に沿って下るように緩やかな傾斜を選んで下ります。
傾斜のあるところを通るときは、かさ上げした水路を通ることもあります。
ここにも道祖神

村の中を
⑤と⑥の間、細い道の分岐に道しるべ。
昔はメインストリートだったかも。
←蟻川 岩本
→高山村
水が高いほうに流れてゆくような錯覚⑥の数字のあたりで右の細い道からやや太い道と合流。

ここから桃瀬川に向かって西に曲がってゆく。
国道沿いに唯一の標識
田に分水しながら、桃瀬川との合流点へ
桃瀬川に一旦合流し、流量調整して市街に向かう。

吾妻神社の対岸を流れ下る。前方が調整堰、てまえが市街側。
静かないい感じの流れに沿う道
広い草原を通り
市街に入ります。ここまで散歩コースに最適。
ところどころで分水します。
分水した支線

市街にもまだ田んぼがあった。
特別支援学校の敷地に入るところで今回は終了。
間歩用水の間歩とは江戸時代、取水した後、横尾付近で「洞穴十三ヶ所ヲ穿チ、以テ水流ヲ通ス」とあり、洞穴を「間歩」といったようだ。

参考資料:「真田用水群の魅力」上毛新聞社