「庭仕事の愉しみ」 ヘルマン・ヘッセ 岡田朝雄訳 草思社文庫

この本は雑誌記事で知り、早速購入しました。しかし、すぐにつまづいてしまいました。それは、私自身の考え方と随分違うように感じたからです。おこがましくも、この人は野遊び、一人遊びが本当に好きなのだろうかと感じたのです。それで2年くらい読まずにほっておきました。

しかし、多くの人々がヘッセの生き方に惹かれて詩や随筆を愛読しているのです。この事実は無視できません。私の読み方が表面に流れているのではないか、という考えが湧いてきました。
そんな気持ちで読んでみると、そうかこんな考え方の人もいるのか、と受け止められるようになったのです。
例えば、元気に咲いている花もやがて少しずつ生気を失い、色が変わり、やがて枯れて行きます。それを愛おしく観察する姿などヘッセの他に表現者はいるでしょうか。みな生気に満ちた生き物を賛美し、それを喜ぶ人の心を表現するものがほとんどです。それに加えてヘッセは花々の滅びの美しささえいとおしく心を動かされていたのです。
目が悪いことからくる体の不調は彼の感受性を鋭敏にしたのかもしれません。それを私は理解していなかったのでしょう。

次の言葉は、この本の中でもっとも思いを共有できる言葉でした。
「庭仕事は私をとても疲れさせ、少しきつすぎますが、これは当今人間が行い、感じ、考え、話すすべてのことの中で最も賢明なことであり、最も快適なことです」

ヘッセの時代は、世界は混乱し不安定でした。第一次世界大戦の影が文の中に見え隠れしています。世界の主要な大国がすべて戦った、庶民には悲惨な時代でした。