「シルクロードの山と谷」 G.N.カーゾン 吉沢一郎訳 世界山岳名著全集1 あかね書房刊

この本の著者カーゾンは英国人で、皆さんテレビでよくご存知のベニシアさんの曽祖父にあたる人です。
この本の日本語訳の書名は一般にわかりやすい名になっていますが、原書名は「パミールとオクサス川の源流」となっていて、内容に突っ込んだ書名です。
オクサス川源流は入域した人がとても少ないが故に探検的登山が好きな人には憧憬の地であり、それはアフガニスタンの北東に盲腸のように細く突き出た(世界地図でアフガニスタンを見れば一目瞭然です。)ごく狭い地域だけれども、この地理的性格上政治的にも不安定で常に微妙なところなのです。わずかに安定なときに幸運のくじを引かないと入域できないという感じなのです。
著者は自分自身がインド(英国植民地の)の副総統(副王)という地位にあり、これ以上の好条件はありません。
中国に近いギルギットからキャラバンが始まります。ここは、いまはパキスタン領ですが、当時はカシミール全体がインド領でしたから問題ありません。北に進み、峠を二つ越えてオクサス源流に入ります。現在ではこの峠の東に中国とパキスタンを結ぶ幹線道路が走っています。
オクサスの源流は小パミールと呼ばれる湖水を持つ高原で東に中国と接するワクジル峠を水源としています。しかし長い間ワハンの山を北に越えた大パミールがオクサス川の源流と思われてきたのです。
オクサス川(下流ではアムダリアとも呼ばれます。)という名も響きのよい名前です。近現代でこそ秘境の地ですが、ここは古い昔から東西交流の要地でもあったのです。ペルシャや西欧から東の最果ての国へ来ようとすれば、通行できる道は自然に収斂してオクサス源流地帯に導かれるように峠を越えて中国へとつながるのです。
「東方見聞録」のマルコポーロや、仏典を求めた帰路、玄奘(三蔵法師)もこの地を通りました。
さてこの地を探険したカーゾン卿は訳者あとがきにその生涯の概略を紹介しています。
それによると、英国の植民地であったインドの副王を勤めた人であることは先にも述べました。後に英国外務大臣長年勤め、王立地理学協会の会長でもありました。探険には理解を示し、著名な探検家であるスタイン、アブルッツィ公、フレッシュフィールドらへの支援を惜しまなかったようです。政治的には、自分の信ずる道を貫く有能な政治家であったようです。
この本は探険の紀行だけでなく、この地域の詳細な探険史、パミールの意味、地形、気候、動物についてとこの地域の総合的な研究がなされた資料的な価値の高いものと思います。