テレビで山の中の一軒家を訪ねる番組がある。歌笑はまさにそれにふさわしい山中の一軒家だが、あいにく現在は空き家だった。以前から気になっていたのだ。地図を見ると車道がなく山深い一軒家のようだ。ここ一週間木工作に明け暮れて、けさ10時頃にようやく開放された。心と身体の開放と足慣らしにここをめざした。「歌笑」といってすぐに判る人はよほど毎日地図を見ている人だ。むかし、職場の山好きな同僚に「早稲沢ってどこだ」と聞かれて、すぐに裏磐梯の湖畔の集落を答えたことがある。同じように「歌笑ってどこだ」ときかれてどうですか。それくらい気になっていたのです。山近くに車を止めたら、近所の石材店のトラックが止まっていた。話をしたら「僕も行ってみたい」といっていたが仕事中でそういうわけには行かないだろう。ここは東吾妻町の松谷というところである。歩き始める。舗装の林道と沢沿いの細道があったが、細道を選ぶ。しかしすぐに行き止まりになって林道にはい上がる。石屋がいった通り堰堤でこれも行き止まり。この短い沢は鎌田沢という。500m位の間に下山のときに数えたら12の砂防堰堤があった。ほとんどが土砂で埋まって上流側も下流側も同じ高さで平らになってしまっている。

谷の両側は急で、風水による倒木や土砂崩れが多い。

昔の山人が作った道は実に合理的で歩きやすい道だ。谷はやがて狭まって滝が現れる。両側は急でとても歩けない。前方は土砂崩れと倒木で引き返しかなと思ったが、よく見ると断続的にジグザグ道が付いているようだ。よく見て歩くと道は崩れていても古い道が微かに残っている。二股になった沢を右股に少し入り、左股側に越える。そんな道が付いている。
前方が明るく平らになるといきなりこの看板。だれが見るのだろう。以前にも年間多くて二桁の始めくらいの人数しか入らない尾根上に同じ看板があった。
平らになると上の看板の場所を起点に明瞭な山道だけで5本の道が枝分かれしていた。まずは戻る方向に尾根道を行ってみる。何もない。引き返して登ってきた方向から直進すると人家がありそうなので行ってみる。少し進むと前方が明るい。さらに進むと青いものが見える。歌笑の人家は、雑木を切り開いた平らな山の凹みに静かにしかも明るくそこにあった。野鳥が飛び交っている。
まだ無人になってそれほど経っていないように思われる。帰りに寄った知人の話では、昔は3~4軒あったようだけれど最後は一軒だけになって、ここから毎日山を下りて仕事に出ていたという。整備された道を慣れた脚なら15分くらいで平場に出たかも知れない。ちなみに地元ではここをミデリといっていたという。どんな字を書くのか知らない。といっていた。歌笑なんて知らないといっていた。いい地名だと思うんだけどな。
分岐した道を何本か歩いてみたらこんな杭が山道の脇に倒れていた。
杭には「吾妻町立岩島第一小第二小中学校部分林」とあった。校舎の建て替え用材として植林されたものだろうか。スギは根元で50cm位に育っていた。こんな山の中でも一時はたくさんの子供がいたことが想像できる。今では岩島地区昨年の誕生は一名だったという。