きのう上野の国立科学博物館で行われている「100年前の東京と自然」-プラントハンター ウイルソンの写真から-という企画展を見てきました。科学博物館のメールマガジンで企画展を知ったのです。何でこの企画展に興味を持ったかというと、ウイルソンは屋久島の屋久杉の切り株にウイルソン株と名付けたものがあることで知っていましたし、ウイルソンが日本でどんな活動をしたのかにも興味はありました。しかし、プラントハンターというと私にとってキングドン-ウォードというチベット、アッサム、雲南など探検的な地域で先鋭的な活動をした植物研究者が居たからなのでした。「青いケシの国」という著書で知られています。彼のたくさんの活動の中でも特にヤル・ツアンポー川という謎を秘めた渓谷にアプローチしてその周辺を探査した記録が「ツアンポー渓谷の謎」(岩波文庫)として残されています。チベットは南の海上にあったインド大陸が北上して4000万年前くらいからユーラシア大陸に衝突して押し続けました。その結果両方とも大陸性のプレートで比較的軽く、衝突したところが盛り上がってしまったのです。(日本の場合、太平洋プレートとフィリッピン海プレートが日本に衝突していますが、どちらも海洋性プレートで重いため日本の下に深く潜り込んで海溝は作りましたが、ヒマラヤのように高い山は作っていません)この大陸衝突による隆起がとても早かったためヒマラヤの北側を流れる川はヒマラヤの山を浸食して南に流れることができず、ヒマラヤに並行して西や東に流れやがて南に流れてインダス川やガンジス川になってインド洋に流れ下ります。ところが、聖山カイラスからヒマラヤのすぐ北を東に流れる前記のヤル・ツアンポー川はどこでヒマラヤを越えて南に流れるのか、南のどの川がヤル・ツアンポー川につながっているのか長いこと謎だらけだったのです。20世紀の初めまでそのような興味深い地域で活動したプラントハンターがいたのです。仕事の性質上多少の探検的要素はどプラントハンターにもあったでしょうが、ウイルソンの日本での活動は純粋に植物学的な活動で種や標本の採集、研究者との交流、特にツツジやサクラの緻密な調査にあったようです。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種であるという説をはじめて述べたのがウイルソンだそうです。ちなみにソメイヨシノはただ一本の木を元とするクローンだというから驚きです。土質、日射などすべての条件を同じにすれば隣り合ったソメイヨシノは同時に咲くと言うことです。サクラの開花の指標木に指定されるゆえんです。企画展の展示は100年前の写真で神田川には平底船の和船を川に棹さして行き交う景色など現在の写真と対比して興味深いものでしたが、一切写真撮影ができなかったので映像をアップできずに残念でした。
ツアンポー渓谷の最後の未踏査であったツアンポー川の大屈曲点5マイルを踏査したのは2009年、日本の角幡唯介氏である。「空白の五マイル」集英社文庫。