「タイの僧院にて」 青木 保 著 中公文庫

昭和51年に出版された本の文庫版です。私はこの本が評判になっているのをいつ頃かうっすらと覚えていて20年前頃に買ったようです。でもフセンは本の途中に貼ってありましたから途中で読むのをやめたのでしょう。先日、本棚の隅に本書を見つけて読み直したというわけです。本書は文化人類学の研究者がユネスコの研究者としてタイの小乗仏教僧の半年間[の修行生活を綴ったものです。

仏教学者でも仏教僧でもない人が大乗仏教の国から小乗仏教の国へ渡り、大学での研究でもなく、部外者としての研究でもなく、自ら仏教の中に身を置いて僧としての修行を体験するというのは日本では希有のことであると思います。まずその行為に讃辞を送りたいくらいです。

著者は修行を通しての研究ということは少しも考えず、修行に入ったらすべてを修行に打ち込み、ただひたすら経を覚え、僧としての振る舞いを身につける時間を過ごしたのです。もちろん著者は、この留学は「異文化の体験を通しての思考作用こそ人類学者としての成すべき仕事なのだ」という考えが根底にあります。私の好きな現場主義です。

小乗仏教はインドで生まれた仏教の原型に近いものといわれています。私たちが普段接する仏教は変質を重ねた上、多くの宗派に分かれ、日本の仏教を理解するのは大変な努力を要します。

タイ仏教は基本的には国教としての仏教があるだけで宗派はありません。そもそも戒律で宗派活動は禁じられているのです。日本では在家仏教という、僧でなくても経をとなえたりすれば天国にいけたり、救済されたりします。タイ仏教ではあくまでも僧中心です。世俗の人は僧や寺院に稀釈、寄進するをして徳を得るというものです。

若者が一時的に僧となる制度がタイにはあります。一時僧として修行したのち、還俗して再び社会に戻るというものです。宗教的であると同時に社会的な慣行ともいえる制度になっています。男子はいつでも僧になって修行することができるのです。

著者は集団的な行動にはあまり関心がなく、個人の孤独な研究こそフィールドワークの必須条件と考える人です。これまでの調査研究はタイの政治状況から紆余曲折し、小乗仏教の実践にたどり着いたのです。これはまた自身の、苦行を通しての再生への願望でもあったのです。

たくさんの寺院(ワット)を訪ねワット・ボヴォニベーという寺院に惹かれます。僧になるには支援者(ヨーム)必要です。相談すると国王が修行する格式の高い寺で簡単には入れないといわれます。しかしヨームに手ずるを探してもらい、ヨームが有力者だったからか希望の寺で得度(ウパサンバタ)儀式を経て僧集団(サンガ)に加わることができたのでした。

著者は、やってみなければ分からないと、事前に思い煩うことなくサンガに加われたようです。しかし、この間40分もかかるパーリ語の経文をわずかな期間で暗記しなくてはならないなど、多くの努力と困難があったのでした。

タイ仏教では上下の身分区別はあっても、ワット内でも世間的にもみな平等で、一時僧でも永続的な僧も区別ないのです。一時僧になるため会社は約100日の休暇を認める習慣があり、さすがに仏教国だと思います。

さて、僧は毎朝托鉢(ビンタバード)にでることから始まります。毎日の食事を市民からもらってこなくてはなりません。これは自分の部屋に戻ってもすぐに食べられないのです。寺小僧(テグ)に器に分けてもらい、それを捧げられなくては食べられないのです。必ず世俗の人を通して捧げられなくては食べられません。食事は朝、昼二回、テグの分を含めて四食分を朝の托鉢でもらうのです。必要なものを買い求めるにもお金に触れてはいけないという戒律があり、身近にテグが必要なのです。

僧の日常に時折ニーモンといって家族、友人、知人などから自宅に招かれて食事(豪華ではいけない)をする機会があります。また、タン・ブンといってワットの自室(クティ)を訪れて直接、僧に食料や日用品を捧げものをすることができます。これらはみな世俗の人々が自分の業をよいものにするための寄進なのです。これはまた、僧が社会と交渉を持つ唯一の機会でもあります。

僧になる前の緊張、その逡巡を経ていまは単純で形式を守る生活に、かぎりない豊かな人間世界が隠されていることにきづきます。「それは”充実”が形を守ることを通して私の内部に出てきていたのだ」また、それは「黙々と生きてゆく、議論しない、観念で頭をいっぱいにしない、空理空論をもてあそばない、実践によって形を守ること。それが自然であると修行を通して感じた」のだ。

もう周囲にいた一時僧はほとんど還俗していなくなってしまった。もう少しいようとおもったが、還俗(スック)は突然やってきた。医者に栄養失調を宣告されたのだ。こうして六ヶ月間の修行は終わった。長老の僧達からはなむけの言葉がかけられる。熱いものがこみ上げる。新しいバンコク市内の自室で滂沱の涙にくれたのだった。厳しい修行だったが多くの尊敬、畏敬する師、一時僧らの愛に包まれた修行だった。

ジャラーダームモヒィ    朽ちてゆくのは私の定めだ

ジャラーム アナティト   朽ちることを越えることはできない

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毎夜の読経の終わりに”いつも心に留めおくこと”が唱えられる。もっとも好きなものの一つで、ここまでくると毎日ほっとしたものだ、と。

もうずいぶん昔の本になってしまいました。タイの仏教界も変わったかもしれません。でも貴重な本です。これに続く文庫本になるような真摯な仏教関連本は見あたりません。日本の仏教界からの一般向けの本を読んでみたいです。 

蛇足ながら著者が得度した年1972年は私にとっても忘れられない年です。二回目の海外登山、そして初めてのヒマラヤに向かった年です。ベトナム戦争でアメリカ軍が無差別爆撃を開始した年でもあります。9月、私の乗ったエアーインディア機はバンコクに立ち寄りましたが、乗客は機外に一歩もでることを許されませんでした。タイでも厳重警戒がしかれていたのです。このとき著者の青木氏(僧名クッタチョットー)は雨のバンコク市内のワットの中で夜の読経をしていたのでしょう。同列にいうのは僭越ですが互いに初めての体験に一歩を踏み出していたのです。