「武士の娘」 杉本 鉞子 著  大岩 美代 訳  ちくま文庫

著者 杉本鉞子(えつこ)は明治はじめ越後長岡藩家老の家に生まれた方です。ときは戊辰戦争直後のことであり、誕生したときは混乱のさなかであったろうと思われます。そのことも含め長岡藩といえば河合継之介を思い浮かべますが、そのことにはここではまったくふれていません。
この本は封建時代末の武士の生活、家庭、教育を描いたもので、社会の混乱とは一線が引かれている。それに著者は幼少でもあり、家庭内でもそのことにはあまり触れなかったかもしれません。原著書は英文であり、他言語にも翻訳され出版されたようです。それは婚約者が渡米していたため、アメリカで結婚、子育て、一時帰国、夫との死別、再渡米という中での出版であったからです。
話しは、高級武士の家の作り、節気ごとの準備に追われる人々のくらし、たくさんの使用人の動き、役割などが面白いように次々に展開します。父母は、娘との日常の家庭生活はもちろんあるものの尊敬すべき大きな存在であり、日常のこまごまとした暮らしの多くは乳母、下男、女中とである。生活の中のさまざまな疑問や用事はこれらの人々が解決してくれるのです。彼らは現在の勤め人とは働き方を異にし、それは主人側への忠誠ということです。いくら幼少でも彼らの主人です。しかし幼少でありながら著者は彼らへの対応に尊大さはありません。それが武家の女子教育です。使用人としての役割は違っても人間としては対等であることを教育されています。
ここに出てくる話は維新の戦で敗れ、公の地位を退き、農家として再出発したかつての武家の暮らしです。使用人たちが集まるところは大きな台所。真ん中に大きな囲炉裏が切られ、部屋の半分は板敷きに筵(むしろ)が敷かれ、糸を手繰ったり、石臼をひいて豆や米を粉にしたり、豆の選別、針刺し、雪国の雪沓(ゆきぐつ)をなうなどを使用人たちがおしゃべりをしながら夜なべ仕事をしています。部屋のもう半分は土間で、ワラ縄をなう、茣蓙を編むなど荒仕事をするようになっています。著者はこのような使用人の仕事を見たり、彼らからいろいろな話を聞くことが好きだったようです。

一年の生活は年中行事を中心に進んでゆきます。それらの中で一番は盂蘭盆でした。準備は家中総出で万端しきたりに従って数日を要して立ち働くのです。生垣を刈り、床下まで清め、庭石を洗い、畳を上げ、天井板、障子の桟から欄間まで、家の屋根から床下まで清められました。仏壇にはまだ夜が明け切らないうちに蓮池から蓮を供えました。それは蓮は日の出とともに花を開くからでした。

嫁入り修行で主に英語を学ぶために入学したミッションスクールでは何をするにも先生方の表情が豊かで自分の育った思い出の人々の表情の欠けた社会を思い文化の違いを認識するのでした。

著者は女としてのたしなみを母や祖母から教育されましたが、幼いときからいろいろな疑問を感じていました。慎み深く、自制と抑圧、女の穢れ、父にも疑問を尋ねます。その答えを本当に理解するのは後年のことでした。日本に戻ってから長女が日本の空気に溶け込んで変わってゆくのを見ます。憂いや悲しみがあるようには見えませんが、アメリカにいたときのような光り輝く快活さが失われているのを感じました。このまま日本の教育を続けるべきかと。
再渡米して、はじめての渡米以来やさしく著者家族を導いてくれたウィルソン婦人との生活を再会させます。この本の執筆はその後のことのようです。