­「科学者の自由な楽園」朝永振一郎著 岩波文庫

この本は物理学の量子電磁気学の分野でノーベル賞を受賞した朝永(ともなが)の自伝です。
私はそれぞれの分野での偉人の文章を好んで読みます。それは偉大な業績を残した人物との対話を楽しむためです。
これから書くのはこの本の一項目である「ゾイデル海の水防とローレンツ」というもので、これは朝永がオランダに招かれたときにローレンツが表題のようにオランダの水防に貢献したことを知り、ローレンツの国民に対する献身、引き受けた仕事に対する責任感など、ローレンツの生き方に感銘した朝永がこの事を広く人々に知って欲しいと筆を振るった文章です。一冊の本の一部ですが紹介します。ですからこのブログは一部孫引きのさらに孫引きもあるということです。
ローレンツに関しては中学校で学んだ「ローレンツ力」で有名です。しかし日本ではこれを「フレミングの左手の法則」といったほうが通りがいいのです。モータの回転する原理になるものですが、ローレンツが発見したものをフレミングが左手の3本の指を使って提示したものなのです。
さてゾイデル海(いまはエイセル湖:IJsselmeer)の水防です。オランダは海面より低い国で高潮による大洪水がしばしば起こり、政府はゾイデル湖の入り口をふさぐ計画を立てました。しかしどれくらいの高さのダムにしたら最適かわからない。いろいろな説が出た。政府は科学的に決める方針を決め委員長にローレンツを起用した。ローレンツは土木学者でも機械の研究者でもなく、物理学者である。しかし本人は自分の能力をこの仕事につぎ込むことは国民としての義務だと考えて引き受けた。ちなみに、副委員長が土木工学者だという。日本人なら普通に考えて副委員長は専門学者なのに未経験者の後塵を拝することにわだかまりを持つと考えるが、その心配は不要だった。それぞれの立場をわきまえていたのだろう。
結論が出るまで8年を要した。検潮儀の設計、観測、文献、データの検討、近似法の案出と実験、簡便な地形での観測値との比較などをへて実際の地形で計算すると、干満の振幅が2倍になることがわかった。それにダム予定地の北側の島々の間の流量が大きくなることがわかった。島々に高い堤防を作ると膨大な費用がかかる。これはローレンツによって流量が極大になっても振幅は極小になることがわかって経費節減につながった。ダムの完成後暴風の来るごとに検証されたが、ローレンツの計算とよく一致したという。
朝永はこの項の締めくくりに、「彼が理論物理で鍛えた数学の腕と、物理的な感覚と直観力がおおいにものをいって、いままでの海洋学者と土木工学者にはまったく手に負えない問題が解かれていった。このローレンツの力と熱意とからわれわれは大いに学ばなければならない。」といい、オランダの政治家の識見、度量、科学者に対する信頼は範とすべき、さらに協力した技術者の功績も大きいに違いないという。