古墳時代の田んぼです。場所は上信自動車道の工事現場、岩櫃山の南、吾妻川の対岸です。
何か小さな四角の線があるので、発掘調査事務所の人に聞くと、前述の答えでした。一つひとつは2m四方くらいな大きさです。
きっとこの位が管理しやすかったのでしょう。今のような大きな田んぼは機械化されてこそ便利なのでしょう。
それにしてもよくできていると思いました。歴史の絵本などにある大きな田んぼで田植えしている風景画は必ずしも正しくないのかな。それとも地域性や時代の差異もあるかもしれません。
河岸段丘上の礫の少ないところを選んで作ったのでしょうが、石がどこにも見当たりません。日本人の几帳面さがうかがえます。

疑問は四角のところが高かったのか低かったのかです。昔の沼沢地の田んぼは土を掘ってかき上げた高いところに稲を植え、低いところが水路というのもあるのです。でも、隣同士の四角は細くつながっています。きっとこれは水の通る水路でつながっていたのでしょう。だとすると四角が低く水田になって隣同士が水でつながっていた。ということでしょう。