「世界最悪の旅」コット南極探検隊 チェリー・ガーランド著 加納一郎訳 中公文庫

著者のチェリー・ガーランドはこの探険に参加したときは24歳。動物学者である。

書名の「世界最悪の旅」は、首席科学隊員であったウイルソンの助手として、ロス島東岸へ皇帝ペンギンの卵を採取する旅で経験した壮絶な旅行をさしている。しかし、また、この探検隊がめざした極点旅行の帰路、ゴールを間近にして南極点到達した隊員全員が死亡するという悲劇的な旅も含めて「最悪の旅」と呼べるものと思う。

この探険が注目されたのは、この隊がメルボルンに入ったとき、北極に向かうと思われていたノルウェーのアムンゼンから、南極に向かうという電報が届いたことに始まる。

望んでいなくても、競い合う形にならざるを得ない。

アムンゼン隊は南極点到達が目的で、科学的な調査、探険は考慮されていない。一方、イギリスのスコット隊は科学的探険を最大の目的にし、困難な冬季の調査旅行を行った後、最後に極点旅行が組まれていた。極限に近いまで身体を酷使した後、さらに過酷な極点旅行である。さらに夏にもかかわらず、それも疲労がたまっている帰路に過酷な自然気象に遭遇した。

その結果、食料デポを間近にしながら力尽きたのだった。

現代の探険と違い無線による連絡もなく、航空機の支援もなく、危機が迫ってもすべて自分達だけで解決しなければならない。だからこそ、想像できるあらゆる困難に対応した準備が求められる。

遭難の一因である燃料不足は、容器の不完全さによるものだ。漏れてしまった燃料は大きく減少しただけでなく、それで汚染された食料までも一部は使えないものにしてしまった。しかし、これらはすでに北極などの極地で多くの探検隊がクリアしてきた問題である。結果だけを見れば、なぜ?と思うことが多いように思う。本来四人で行う予定だった極点の旅だが、旅の途中で支援隊の一人を追加したことなどもそのひとつだ。しかし、ここでは評価が目的ではない。

「最悪の旅」であった冬季の調査旅行だ。
皇帝ペンギンは冬に産卵するらしい。隊の基地小屋は西岸である。これまでの調査でコロニーは東岸にあるのだ。340kgの荷を二台のソリに積み、3人で1ヶ月以上。太陽は昇らず、闇でしかも極寒の旅だ。1km進むのに3km歩かなければならない。一度に2台のソリを進められなかったのだ。

なぜ途中で引き返さなかったのか、これは本人たちでなければ判らない。

起きてから出発まで5時間以上かかるというのだ。だらだらやっているのではもちろんない。あらゆるものが凍ってしまうのだ。着ているもの、そりを引くロープ、一人ではできない。寝袋でさえ畳んではいけない。起きたときの円筒のまま、ソリに積まないと寝るときに中に入れないのだ。現代人には笑い話のようだが、氷点下50~60度以下の世界は想像できない死の世界だったのだ。
計算したら1日の仕事は24時間では足らないのだった。真剣な話なのになぜかおかしい。

世界で最低気温を記録したのはどこだという話はよくある。しかしこれは通常は暖かいところにいて短時間寒さに身体をさらすということに過ぎない。しかし、「最悪の旅」は常にそこで何十日と身体をさらしているのだ。想像できない。

余談だが、同じ極地でも北極より南極のほうがはるかに寒い。なぜだろうか。北極は海の上、南極は大陸の上、という違い。さらに南極は平均標高が2000mくらいあるらしい。標高も高い。風の強さも、南極のほうが厳しいそうだ。