坊城平から冠着神社の鳥居をくぐっていよいよ登りです。

冠着山(かむりきやま)、(姨捨山:おばすてやま)は、長野県千曲市と筑北村の境界にあり、国道18号の戸倉温泉から山の北面に回りこみ左の案内図の一番右の道、林道冠着山線で坊城平(いこいの森)に入りました。しかし林道に入るまで何も案内がありません。県道77号を北上し、「更科小学校入口」の信号を西に折れ、さらに「4区消防詰所」のバス停で左斜めに上る道が林道入り口です。途中動物よけの柵と扉がありますが、開けて入ります。後は道なりで全線舗装されています。帰路は県道498で上山田に降りるつもりでしたが通行不能で往路を戻りました。

山頂にも登山口と同じ鳥居がありました。虚子の「更級や姨捨山の月ぞこれ」の句碑があります。姥捨てと、月は昔から切っても切れない仲で平安の昔から歌や絵にされています。千曲市のパンフレットによると姨捨山の名が初めて登場するのは「古今和歌集」(905年)で更級、姨捨山の名が歌われています。また、「今昔物語集」(1120年代?)に姨棄山は冠山のことだと書かれているそうです。定家の「名月記」にも姨棄山は更級の里の南西に位置するとの記述があるそうです。名前のように姨捨伝説も古く、深沢七郎の「楢山節考」はここの山とはいっていませんが姨捨伝説を元にしたものです。

山頂から千曲川沿いの町(善光寺平)が望める。雲がなければ戸隠、飯縄の山が見えるのだろう。

反対側の南面の眺望は青木村の方だろうか、山の向こうは塩田平か。

頂上を後にボコダキ(児抱き)岩へ下る。少しわき道に入ると樹林の奥に立ちはだかる岩があった。クライミングのルートがいくつかあるようで、残置ハーケンがたくさん見られた。このときも登攀するパーティーがあった。

山頂にあった展望図では「山体は古い溶岩(第三記の安山岩)が浸食して残された山、すなわち残丘である。」(1986)とありましたが、このあたりが海だった頃、堆積した堆積岩に地下のマグマが貫入した(新第三紀、または、第四紀との説も)ものだというのが現在の解釈らしい。この岩壁もそうして残った山頂周辺だけの火山性の岩なのだ。山体は堆積岩だそうだ。