「ブナの森と生きる」 北村 昌美 著 PHP新書
ブナは東日本のおもに豪雪地帯といわれる地域に育つ木で、雪とは切ってもきれない関係にあります。ブナは「ぶなの森」などというように森林としての濃いイメージをもっているようです。
また、ブナは、ごく大雑把ないいかたをすれば、陰樹といって、ある程度日陰でも成長することができ、成長するにつれて周囲の木を覆うようになると、日陰で光量の少ないところでは成長できない木を駆逐してしまいます。その結果いつかブナだけの純林を作るのです。これを極相林といって安定した森なのです。東日本にはこのようなブナの森がたくさんあります。
この本の筆者は、このブナの森が持ついろいろな問題を考えるとともに、人間と自然とのかかわりはどうあるべきかを人々に伝えたいというのが最大の目的のようです。

ブナ帯文化といわれるように、東日本には縄文時代からブナが利用されてきた文化があります。しかし、ブナは比較的山の奥地に分布するため日々の生活からは距離があること、木材としては腐りやすいこと、その実も小さく日常の食料とは、しにくいなどから、生活の中心になるものではありませんでした。ですから、ブナ帯文化というのはブナを中心としてそこにある草木や動物など全体が作り出した文化と考えられます。
いまでこそブナの木を知らない人は少ないし、関心のある木の一つになっていますが、木へんに無と書いてブナ読ませたように、昔は林業的に邪魔者扱いされていたのです。せいぜい雪国の生活用具や薪炭材になるくらいでした。昭和に入って拡大造林ということがいわれるようになって、特に戦後、ブナは大規模に伐採され、針葉樹が植林されました。これが自然保護運動を盛んにしたきっかけになりました。その象徴となったのが白神山地の大規模な林道開発でした。開発派と保護派とが真っ向からぶつかってしまいました。筆者は言います。「本来なら林業と自然保護は同じ方向を向くべきものが、真っ向から対立するように位置づけられてしまった」と。現在では林業技術の進歩でブナの利用範囲は広がっています。家具材、フロアー材などにも使われるようになりました。高級材の仲間入りさえしているようです。

日本のブナ林特有のブナ林の世代交代の困難さにも話は及びます。ドイツの森のように下草の少ないところは世代交代は容易だけれど、日本では潅木、下草そして大きな障害である笹の存在があります。私も若いころ奥利根の木の根沢でブナ林の笹を大規模に刈っているのを見たことがありますが、一度だけではたぶん実効はあがらず何度か刈らなければならないと思うと、世代交代のための幼樹を育てるのは大変なことだと思いました。

筆者は、いま注目するのは環境としてのブナ林だといいます。春の柔らかい若葉、太陽光線を通して透き通るような緑はなんともいえずすばらしいものです。私はひところ南会津の山へよく通いました。会津田島から西に船鼻峠、転石(ころぶし)峠、駒止(こまど)峠と、なだらかな起伏の山が連なります。ここを春、スキーを履いてブナ林をめぐるのは、最高の散歩です。雪解けのころブナの根元が丸く解け、黒い土がのぞく、わずかな山ひだにも雪解け水がせんれつに流れ、ミズバショウ、カタクリ、リュウキンカ、キクザキイチゲなどが咲き競うさまは、生命の躍動を見る思いです。なんと心豊かに、そして穏やかにしてくれることか。

筆者は「むしろ保護されているのは人間であろう」
「人間にできることは自然に対して謙虚な気持ちを持つこと」
最後に
「理屈はすべて後回しにして、まずは、ブナ林を歩き回ろう」
と結んでいます。