「里山の少年」 今森 光彦著 新潮社刊

著者は、琵琶湖畔で生まれ、育ち、いまはそこにアトリエを構え、自然の生物の写真を撮り続けています。この本は著者の子供の頃の体験や何気ない日常の中の自然との対話を綴った本です。

私も似たような里山に住んで自然にふれながら生活しています。しかし、その環境は大きく違うようです。まず一番異なるのは何かと問われれば、水です。琵琶湖というたくさんの水をたたえた自然と、田や小川、山の中の田に水を引くための小さなため池と湿地。

小さないきものの拠りどころである小さな水辺が今森さんの話しの中心です。

私の住まいの近くには水に係わるものはほとんどありません。そればかりでなく人間に必要な水でさえ、この地域では自前でまかなうことができずに吾妻川の向こうから引いているのです。

小さな生き物には、水辺や草原、林など多様な自然が必要です。この本を読んでもすぐに気づかされることです。しかし、いま、琵琶湖畔でも小さな溜池は圃場整備や廃棄物処理で埋められ、小さな自然がどんどん失われていく様子がつづられています。

生物の多様性ということをいわれることが多くなりました。この国にも「生物多様性基本法」というのがあります。しかし法律ができれば自然が守られる訳ではありません。法律を体して皆が動かなければ、法律はないのと同じです。開発行為にはそれと同等の補償行為がなければならないと思います。

経済優先の大きな流れに抗うことはなかなか難しいでしょう。そこにはそれぞれの当事者の苦悩や葛藤と必要があることを知っているからです。「三百歳の畦道よ、さようなら」の中にそのことが描かれています。

このような小さな自然は微妙な自然のバランスの中で成り立っていることを、著者は自分の庭の小さな池の中のようすの変化で知ります。池の形、深さ、水質によってそこに生息する生物は微妙に変わります。小さなプランクトンも生物層に大きな影響を与えます。そこで著者は知人の研究室を訪ねます。顕微鏡の向こうにいるプランクトンに魅せられてしまいます。

自然は小さくても多様な世界であり、ぼんやりやり過ごしていては気づかない世界が広がっているのでした。
この本を読んで気づかされることは、小さな自然を守ることが大切であることです。しかし、実行することは至難なことです。大部分の人は住宅を建てる、田や畑を作る、あるいは改良して、護岸工事をする、林を切る、道路を舗装する、など、止むを得ず自然に負荷をかけます。人が生きるということはそういうことなのかと再認識させられます。小さな自然と軽く考えていたことが、そこに貴重な生物がいて‥。どうしたらいいのか。みんながそういうことを忘れないでいる。ということが大切かもしれない。と思います。